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偕楽園


偕 楽 園 案 内 図

(クリッカブルマップ)
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100種3000本の梅と10人の梅むすめがあなた様のご来園を待っています。

  • 偕楽園


    梅の公園として有名な偕楽園は、水戸第九代藩主徳川斉昭公が、天保13年(1842)
    衆と偕(とも)に楽しむという趣旨で造られたもので、
    金沢の兼六園、岡山の後楽園とともに、日本三公園として有名である。

    斉昭公は江戸藩邸の梅の実を採取して
    水戸の地に梅を植えられ飢饉と軍備に役立てようと考えられ、
    まず天保10年5月には『偕楽園記』が斉昭公の自撰自書でできあがり、
    天保12年4月から造園工事が始まり翌年(1842)7月1日完成し開園した。

    偕楽園は単に美しい庭園を楽しむという目的だけでなく、
    藩校弘道館の付属施設の性格も持ち、弘道館が文武修行の場であるのに対して、
    修行の余暇の休養の場であるとも考えられ、文教政策の一環をなすものであった。
    当初の広さは、現在の常磐神社の境内を含み14万7000平方メートルほどであったが、
    平成5年大規模公園として整備され
    周囲3キロメートル余りの千波湖を抱える約300ヘクタールを千波公園として
    ニューヨークのセントラルパークとともに世界最大級の都市公園となりました。


    偕楽園  国指定史跡名勝  水戸駅から偕楽園行きバスの便あり
    観梅期間、つつじ祭り、萩まつりにはJR常磐線「偕楽園駅」が開設され、
    特急をはじめ、すべての電車が停車します。
    上野駅から特急で1時間05分。
    駐車場・(偕楽園)-常磐神社有料駐車場、[大型バスは神社正面石段下]
    駐車場・(千波公園)-周辺に数箇所


    梅は偕楽園に3000本、千波公園に1000本、観梅期間は2月中旬から3月末まで。

    ◆春を告げる梅に続いて「千波湖周辺の桜」、

    ◆偕楽園の「つつじ」

    ◆秋の「萩」、

    さらに表門付近の杉林と好文亭からの眺望はすばらしい。

    観梅(2月20日~3月31日)と

    「つつじまつり」(5月上旬)と

    「萩まつり」(9月1日~20日)の


    期間中は常磐神社鳥居前の常磐線偕楽園臨時駅が開設される。

  • 好文亭

  •  『好文亭』という名称は、シナの晉の武帝の故事「文を好めば則ち梅開き、学を廃すれば則ち梅開かず」により、梅の異名を「好文木」(こうぶんぼく)といったことから、命名されたものである。
     二層三階の木造こけら葺で、一階には、御座の間(6畳)、控の間(12畳)、東塗り縁広間(18畳板の間)、西塗り縁広間(36畳板の間、天井は杉皮の網代張、周囲の杉の板戸には、漢詩を作るのに必要な、四声類別表--平仄(ヒョウソク)--を記し、詩歌の会の便がはかられている。)対古軒(タイコケン)(4,5畳)と茶室何陋庵(カロウアン)(4,5畳、床柱はツツジの古木)。二階は、納戸風の小部屋のみで、三階の楽寿楼(ラクジュロウ)(八畳)は、藩主の御座の間で、床柱は薩摩藩主島津斉彬(ナリアキラ)から贈られた孟宗竹で、丸窓は追鳥狩(オイトリガリ)などの軍事訓練に使われた大陣太鼓(常磐神社義烈館に展示)の胴のけやきの余材で作られている。

    奥御殿(好文亭)


     奥御殿は、好文亭と「鴬張り(ウグイスバリ)」の太鼓橋で結ばれている。
    現在は好文亭拝観の際、玄関を入って、まず奥御殿内をめぐり、それから太鼓橋を渡って、好文亭内に足を踏み入れる順路になっているが、本来は好文亭の奥にある御殿である。

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    東門


    来園者がもっとも多く出入りする門。常磐神社に隣接している。






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    御成門


    園の北側の門。県立歴史館へ行くには一番便利。





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    表門


     好文亭の表門で、茅葺き切妻造り、角柱の主柱(二本)と副柱(二本)でささえられ、両側には、瓦葺の袖塀がつけられている。昭和20年8月の戦災にも焼け残り、開園当時の姿をよくとどめており、黒塗であったところから「黒門」ともよばれている。門前の右手の梅樹の横には、「史蹟及名勝 常磐公園」という石の標柱がある。
    現在は、東門が主な出入り口として使われているが、本来の表門はこちらである。


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    吐玉泉


     表門と好文亭の間の、杉木立と熊笹の道を折れて階段を下りると、大理石の井筒の間から、こんこんと涌き出す泉があり、「吐玉泉」トギョクセンと呼ばれている。
     昔、好文亭の茶会には、この水が使われたといわれている。井筒の大理石は日立市と常陸太田市の境にある真弓山の寒水石カンスイセキである。


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    偕楽園記碑


     好文亭のすぐ近くの古い井戸の横に、偕楽園開設の趣旨を明らかにした、斉昭公自撰自書の雄大な「偕楽園記」の碑がある。
     斉昭公は天保4年頃から梅林の造成計画を進められたが、同10年5月には「偕楽園記」ができ上がり、12年4月に着工、13年(1842)7月1日完成。

    「偕楽園記」(碑文のPDFファイル)


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    「僊湖莫雪」碑


     偕楽園の南崖中腹には、斉昭公選定の「水戸八景」の一つ、「僊湖莫雪」(センコノボセツ)、の石碑が建てられている。「僊湖」とは「仙湖」、すなわち千波湖のことで、千波湖の雪の夕暮れという意味である。
    ちなみに、水戸八景は、天保4年(1833)シナの瀟湘(ショウショウ)八景にならい、領内の景勝の地を選定し、『水戸八景』という漢詩を作り、天保5年、八景それぞれの地に、隷書体の自筆の碑を建立された。各碑には漢字4文字が刻まれているが、その中の一字はは必ず古典文字が使用されている。

    * 僊湖莫雪 センコノボセツ 水戸市常磐町 偕楽園南崖
    * 青柳夜雨 アオヤギノヤウ 水戸市青柳町 鹿島神社境内
    * 山寺晩鐘 ヤマデラノバンショウ 常陸太田市稲木 西山研修所内
    * 太田落雁 オオタノラクガン 常陸太田市栄町 東崖
    * 巌船夕照 イワフネノセキショウ 東茨城郡大洗町 願入寺裏
    * 広浦秋月 ヒロウラノシュウゲツ 東茨城郡茨城町 涸沼広浦キャンプ場わき
    * 村松晴嵐 ムラマツノセイラン 那珂郡東海村村松 虚空蔵尊 裏
    * 水門帰帆 ミナトノキハン ひたちなか市和田町二丁目 ひたちなか東市役所裏
            (八景一巡 約90キロメートル)


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    子規の句碑


     この碑には「崖急に 梅ことごとく 斜めなり」の句が刻まれている。
     歌人正岡子規は明治22年4月に偕楽園を訪れ、好文亭楽寿楼に登り『水戸紀行』のなかにその感想を、「この楼の景色は山あり水あり、奥如と曠如とを兼ねて天然の絶景と、人造の庭園と打ち続き、常磐木、花咲く木のうちまじりて、何一つ欠けたるものなし.....余はまだ此の如き艶麗幽遠なる公園をみたることあらず」と感嘆の言葉をもって記した。



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    二季桜


     春と秋、一年に二度開花する桜である。






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    太郎杉


    樹齢は約700年といわれる、杉の巨木である。






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    田鶴鳴梅林


    偕楽園の本園から、JR常磐線をはさんだ南側の梅林。






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    徳川光圀公像


    千波湖畔の公園に立つブロンズ像。近くでみるとかなり大きい。








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