part2
大河ドラマ・ ア・ ラ・ カ ル ト
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嘉永6年6月3日、ぺりーが浦賀に来航。7月3日老中阿部正弘は乞うて斉昭公を海防参与に委嘱します。ほどなく7月18日にはロシアの使節プチャーチンが軍艦4隻を率いて長崎に来航します。川路聖謨は交渉のため長崎に赴き、さらに翌年ふたたび伊豆下田において日露和親条約を結ぶのである。(その後、条約勅許・将軍継嗣問題で一橋派と目され、大老伊井直弼に地位を追われる。)
嘉永6年6月14日、斉昭公は江戸城中において聖謨と筒井肥後守を引見します。
- これは『新伊勢物語』によると、老中阿部伊勢守の要請によるもので、伊勢守の代理として差し向けるので腹蔵なくご教示賜りたいとしている。会見場所も、この伊勢守の斉昭公宛て書簡の末尾に、朱筆の書き添えがあり、それにによると、「駒込は外に席なき故誰来りても無已、大奥寝所にする所より外無之故、其所にて逢ふ、過日勢州(註・伊勢守)来り候も同断なり」とある。
- わが国の千島のはては えそしらす さりとてよそにとらすべしやは
みちのくの ちしまのはては えそしらぬ かそへてかへれ わか君のため
聖謨の御返しの歌
- 限りなき君が恵みは えそしらぬ ちしまのはては よみ尽くすとも
誰れ余所にとらすべきやも我国の千しまと君がおしへあふきて
- 21日、くもり、又雨、又晴
きょうは、日本・露西亜永世の会盟とも申すべき訳にて書面の取替せ有り。着服は、御紋附の羽織、蜀江かたの野袴、花山桃林のまき絵太刀作りの大小、これを用う、これは、前中納言殿(註・斉昭公)并に左衛門尉(聖謨)の自詠を鍔に彫りたる大小也。

